「夢を持つことは素晴らしいことだ」

そんな言葉を聞くことも少なくありません。

しかし実はそれは危険な発想かもしれません。

夢にすり替えられた志

元々日本は志が軸にある生き方をしていました。

志とは自分の人生の目的であり、目指すべき究極のゴールです。

言い換えれば、それが実現したら死んでもいいと思えるぐらいのゴールです。

そんな志に生きていた日本人は強かった。だからその日本人を「弱くさせたい」という意図があったのかもしれません。

そして、志という言葉が夢にすり替えられました。

夢とは自分ベクトルのエネルギー

「お金持ちになってフェラーリ乗りたい」

「大豪邸に住んで、毎月海外旅行に行きたい」

「美女と結婚して毎日楽しく過ごしたい」

ありがちな「夢」ですが、これはまさしく自分ベクトルのエネルギーです。

わかりやすく言えば、その夢の実現のために手伝いたいと思えるかどうかです。

誰かがお金持ちになってフェラーリ乗るのを喜んで手伝おうと思う人はいるでしょうか?

きっとほとんどいないと思います。

志は外向きのエネルギー

逆に・・・

「世界から貧困や差別を無くしたい」

「紛争や争いがない平和な世界を実現したい」

「病氣をなくし、みんなが健康で生きられる世界をつくりたい」

こういった志を聴いたらどうでしょう?

「それだったらわたしも手伝うわ!」と思える人が圧倒的に多いのではないでしょうか?

 

志とは要するに不動の魂であり、日本人として根底に根付くサムライスピリットその者です。

それは元々、日本には古くから伝わっていて、かの五箇条の御誓文にも教育勅語にもしっかりと書いてあります。

日本国民は志を持っていきなさい。と。

 

冒頭の夢も志に昇華することで、実現する可能性はグッと高くなるのではないでしょうか。