わたしという存在について、よく「わたしって何だろう?」と思うことないでしょうか?

意識の主体であるこのボディを「わたし」と認識しているだけで、わたしとは一体何なのか。

分からなくなるのは、宇宙の本質かもしれません。

わたしとはわたしだけで証明できない

自分が自分だけで存在証明をできるなら、この宇宙に人間は生まれなかったかもしれません。

宇宙は自分を認識するために、逆観測をする必要があった。

その逆観測をする主体として人間を生み出したとすればものすごく辻褄が合います。

宇宙の分離体として人間が生まれ、小宇宙として宇宙を逆観測することで、宇宙はわたしを認識することができます。

つまりわたしを定義するためにわたし以外が存在するということです。

わたしはわたしだけで存在することができない、だからわたし以外がわたしであるということになります。

なぜわたし以外が存在するのか

意識という絶対的な感覚を日常の中で感じ続けるとどんどん麻痺してきます。

意識が自らのボディに紐づいて、あたかもそれが当たり前かのように振る舞うその前提に「なぜ?」を突きつけてみると、思っている以上に特殊な感覚であることに氣付くかもしれません。

なぜ自分の意識がこの世界にあるのか、というのは、なぜこの世界に自分以外が存在しているのかということと無関係ではありません。

自分の意識が主体であることを証明するために、目の前に全く違う存在を置くことでそれを可能にしました。目の前にいる人が自分を認識することで、この意識が自分の主体である証明となるのです。

これを武学では知識ではなく、対人稽古で体感していきます。感じることを主軸に自分の意識のコントロールを稽古していくと、その中で宇宙の真理に氣付いていくことになります。