武術の稽古は、ただのパンチ、キックの稽古ではありません。

パンチやキックの練習もしますが、それらは方便でしかありません。

実際に日常で使う場面はほとんどありませんから。

そうではなく、武術とは創造主である神であったことを思い出すためのツールであり、その自覚と意識を磨いていくためのものです。

観たいように観える世界

この世界は自分が観たいように観える世界です。

実際に好きなことには意識が向きやすく、嫌いなことからは目を背けがちなのが人間です。

それが自然な反応であり、そういった点で既にあなたはあなたの世界の創造主なのです。

そして、意識という人間の本質があり、その意識によってこの世界は観測され構成されています。

つまり意識のコントロールは創造という意味とイコールなのです。

例えば、会社で上司に怒られたときに、怒られたと思うのではなく怒らせたという意識を持てるかどうか。

わたしが常に主体であり、世界の中心としてこの世界を創造していきます。

創造主として世界をより面白く

今は特に、何かに依存的になりやすい世界ですから、常に主体性を取り戻すための認識が必要になります。

「誰かにコントロールされてないか」

「自分の世界を観たいように観ているか。観させられてないか?」

ということです。

特に、テレビやラジオ、新聞などメディアでは何かの意図を持って大衆をコントロールしようとする傾向が昔からありますから、自分の世界の主導権を手放さない主体性が試されます。

常に、本当であるかどうか、その真偽について自分の身体と会話しながら、自分の世界をより面白くするために情報を活用していく主体性。

常に主体的にあなたの世界をあなた自身の手で、より面白くしていってください!!