アウトプットとインプット。

これは呼吸でいうところの「吐く」「吸う」のに似ています。

どちらかだけで成り立つものでなく、循環することで成り立っています。

今回は指導者の学び方について見ていきましょう。

指導者の学びとは

武学は指導者の学びです。

それは世の中をより良くするという前提があり、人に影響を及ぼし、指を指し示しながらより良い方向に導くという未来を創造するための学びとでも言いましょうか。

学習者ではなく指導者たれ。

学ぶことは悪いことではありませんが、それが活用に至らなければ無意味である。そのようなメッセージを込めてレノンリー老師は強い言葉で「武学に触れる人は全員が指導者であってほしい」常に口を酸っぱく言います。

それは世界をより良くするための主体者でいて、創造主であることを体現してほしいというメッセージと受け取れます。

行動に変容させる意図を持っての学びでなければ無意味であり、逆に言えば、アウトプット前提でない学びでは受け取れる情報量が減ってしまうという意味でもあります。

アウトプットの重要性

氣付きというのはアウトプットによりさらに加速します。

いくら受動的に学んでも、深いところでの氣付きが訪れないのです。

しかし、他人に教えたりアウトプットするとそれだけで多くの氣付きが訪れ、それまで滞っていたエネルギーが循環し始めることがザラにあります。

それはアウトプットが呼吸と同じように「循環の起点」であるからだと考えられます。

起点がなければ始まりません。

しかし起点を創造する事ができれば循環を意図的に起こす事ができるのです。

要するに、アウトプットは創造主としての最低限の行動であると言えるのです。