宗教とは「宗(むね)」となる「教え」です。

宗となる教え、それは人生において大切なことのはずです。

しかし、それらが「怪しく」て「違和感」を多く感じられる存在になってしまったのは、なぜなのでしょうか?

今でさえ、宗教と言われると「わたしは遠慮します」と言いそうになるのはなぜなのか。

今回は宗教の問題点について深堀していきます。

宗教の何が問題なのか

この宗教にまつわる問題は非常に重要です。

それは宗となる教えのはずが、それぞれの主義主張をぶつけ合うための場所になってしまったからです。

言うなれば、宗教という表現を通して自分の宗教の正しさを説くようになったことです。

つまり、自分の宗教の正しさを証明するために、他の宗教を否定しないといけない、そんな方向性に向かってしまっているということです。

しかし、もし全知全能の神がいるなら、

なぜそう言った争いのない世界を創造できないのでしょうか?

答えは簡単で、あなた自身が神であるということです。

そのあなたが神である、という視点で紐解かれた宗教が少なすぎるのがまた1つの問題です。

系の中と系の外

自分の家族や知人は自分の意志を持って農業をしたり、武術家やセラピスト、そして施術家の仕事などさまざまな仕事をしています。

そう言った仕事の中で自ずと生まれてくる「枠」、作ったつもりはないけどどんどん増えていく「枠」。

そう言った日常の中で、そう言った無意識に作ってしまう「枠」を壊し続けることが本当の教えに辿り着くためには重要になります。

自分の身体が邪魔をして、他人の成長を止めてしまう。

それでも自分の思考を打ち破って、

みんながみんな得たい成果を得るために全力で取り組むこと。

もし仮にそれができないなら、それができないのが一番、問題なのかもしれません。

これはあくまで仮説です。

ぜひ検証のお手伝いをしていただけると幸いです。