自分の世界は自分が創っています。正確に。

例えば、自分はできると思っていたら、「できる」世界が創造されますし、

自分はできないと思っていたら「できない」世界が創造されます。

それがまさに正確に世界を創造しているので驚きです。

今回は抽象度の上げ下げではなく、系の外に出るという話を深掘りします。

抽象度の外に出る

人は、常に誰かがつくった世界にいます。

まずはその認識ができるかどうか。

なぜあなたは洋服を着ていますか?

それはあなたがつくった概念ですか?

自分の選択の結果、洋服を着ているという人が100人いたら何人いるでしょうか?

1人もいないかもしれませんね。

それぐらい、誰かのつくった抽象度の中にいるのが人間です。

武学はそう言った誰かが作った抽象度(系)の外に出る稽古を常にやります。

それは自分がつくったものなのか?

常にこの自問自答の連続。

いかに系の中にいるのかを痛感し、未熟さを痛感する日々・・・

抽象度の外に出ることで、初めて得られる感覚

どこかの社長に出会った時に、相対的に自分を卑下してしまう感覚。

自分はほんの数年前まではありました。

なぜこのような感覚に陥るのか。

それは資本主義社会という抽象度の中で、お金という尺度で相手より稼げていない自分を評価して相手より下であるという謎の自己評価を生み出し、その価値尺度で自分を位置づけすることが原因です。

で、これってなに?

いつどこで、自分は資本主義社会での評価基準で自分の生きる目的を定めたのでしょうか?

1億稼いだら、死ぬ時に喜んで死ねるのか?

そんなこと一度も思ってなかったのに、いつの間にかこの尺度にはめ込まれていた。

まずはそのことを認識して、その抽象度から出なければ、その抽象度の中で上げ下げできません。

人よりいっぱいお金を稼ぐことを楽しむことも、お金がない世界を楽しむことも、どちらもできる。

そんなあり方を探求するのが面白そうだなと、思う今日この頃。