站椿功はいわゆる立禪であり、禪、すなわち「空」の状態を体現する稽古法です。

空とは要するに「悟りの状態」であり、釈迦が悟ったあの状態を体現するものです。

站椿功を丁寧に鍛錬すると、深いゼロ化の世界を観ることができるでしょう。

それは深淵なる意識の世界。

站椿功で辿り着ける状態

普段の生活の中で、「悟り」というのは無縁であり、自分には到底辿り着けるところではないだろう。

そんな「意識」要するに思い込みがあることで、悟りというのが遠い世界の話になります。

しかし、武学体術では「人間は本来は悟っている」という前提で物事を捉えますので、もし悟れてない状態だったとしても、「今はたまたま悟れてないだけ」という捉え方をします。

そういう意識を持つことで悟りをより身近に感じられるようになります。

そして、武学体術では悟りを「できてるつもり」にならないように、ちゃんとチェックするシステムがあります。

それが対人による相対力学でのチェックです。

要するに、悟りが正確に体現できていると、相手との差が取れ(差取り)、即座に相手との分離感がなくなります。すなわち、ムスビが起こるので、相手も自分も自分であるという深い瞑想状態になります。

深淵なるゼロの世界

筆者は呪術廻戦が好きなのですが、站椿功での悟りの状態は、呪術廻戦における五条悟の領域展開、”無量空処”を体現するようなイメージと感覚でしょうか。

全てがあるし、全てがない。

あるようでない。

ないようである。

まさに0=∞の世界。

そんなゼロの深淵を体感できるのが站椿功の深み。

深い意識だけの世界をゼロという、究極の体験で味わうこと、これが站椿功の醍醐味かもしれません。