わたし達は小さい頃から学習することを美として常に学ぶことを強いられてきました。
時に自ら学ぼうとするようになるも、そのきっかけは常に受動であることが多く、学ぶことによるデメリットなど考えたこともなかった。
学べば学ぶほど分からなくなる
武学では、師匠から「学ぶな」と教えられます。学ばない教え。
常に答えは分かっていて、その答えは身体からもたらされることを稽古を通じて身体で理解していきます。
しかし、多くの場合知識を頭で処理して思考で理解しようとします。
たったこれっぽちの脳みそで宇宙の全ては理解できるはずもなく、分かれば分かるほど、全体から分離してわからなくなるという現象が起こってしまいます。
だから、全体を理解したい、宇宙の真理が理解したいと思うのであれば学んではいけないのです。
全て知っている
前提として「わたしは何も知らない」から入るからどんどん知識を増やしていこうという発想になります。
これが現代の学校教育の根底にある背景です。
武学では前提として「わたしは全て知っている」から入ります。
だから、もう何も学ぶ必要はないのです。それどころから不要な人工物である学びを手放していく作業が増えていきます。
何か正しさを学ぶから、それ以外がおかしく見えるのです。ならいっそのことその「正しさ」を手放せたなら、全てが正しくて全てが間違っているという「1つ」を理解できるのです。
学びの中に本質はありません。天地宇宙・大自然はただ在るだけです。