現代では、多様性という言葉もある程度定着していろんな生き方があることが認められつつありますが、
一昔前はほとんどが会社に勤めて定年まで勤め上げるのが1つの生き方のセオリーのようになっていました。
もちろん、そういった「誰かがつくった道」を歩くのも良いかもしれませんが、それだけだと世界をより良くなっていきません。
誰も歩いたことのない道を歩くことも時には必要になります。
誰も歩いたことのない道を歩く
誰かがつくった道は安心です。そして多くの場合安全そうに見えます。
しかし、その裏で自分でつくる楽しさを感じることはほとんどないでしょう。
ですが、そのことにほとんどの人は氣付いていません。
誰かに依存することで自ら決めて、その責任を負うことを回避したいのです。
しかし、誰かに決断を委ねるということはその結果は全て自らが負うということになるのです。
どうせ、責任を負うなら、自分で決めて創造する方が楽しそうではないですか!
茨の道を楽しむ
他人がつくった道でも楽しもうと思えば楽しいでしょう。しかし、自らつくった道ならさらに楽しめるはずです。
しかし、その道は誰も通ったことのない道・・・まさに茨の道です。しかしそんな茨の道を楽しめば良いとレノンリー老師は言います。
安全で舗装された道も良いけど、どちらが面白いか。
誰も歩いたことのない獣道、茨の道を歩く。確かに一筋縄でいかなかったり、行き詰まることもあり、大変なことも多いかもしれません。しかしそれ以上に、自分でつくるという創造主としてのやりがいは一番ありそうです。