いわゆる使命。

命の使い方。その「しめい」と同じ響きで、武学的によく使われるのが「志命」です。

天人統合禮法において、志命奏上というパートが存在しますが、その意味はかなり重要になります。

そして、わたしたちが日々、稽古をする前にも志命を奏上してから取り組みますが、そこには2つ大きな理由があります。

自分の志を明確にすること

自分が何のために生きているのか、その人生の方向性を見失ってしまうと、思わぬトラブルを招いてしまったりします。

そうならないためにも、自分が進むべき方向性は常に明確にしておきます。

それがまず初めに志命を明確にしておく理由です。

場の志を明確にしてすり合わせを行う

さらに、もう1つの理由は、場の志、要は方向性を明確にしてその方向性と自分の志を擦り合わせることです。

自分の方向性が明確であれば、その場の方向性との調整が可能になります。

言い換えれば、その場を使っていかに自分の志成就に繋げるのかを体現できるようになります。

自分の志命が明確でないと、それが体現できないので、場が崩れてしまう危険性があります。

天円修拍

志命奏上をしてから天円修拍。

点と天。

響きは一緒です。

点とはゼロであり、ゼロ=無限大。

そんな体現者としてのあり方を拍掌にて修める。

天人統合禮法で行うゼロ化のための禮法はまだまだ奥が深いです。