般若心経や悟り、そこを目指すべき場所であると信じて、そこに向かおうとする人は後を断ちません。

もちろん素晴らしいことなのかもしれませんが、目指してしまうとたどり着くことが難しくなります。

悟りは目指すものではなく、今やるものです。

ただ悟るだけ

武学体術では禮に始まり禮に終わるという言葉を唱えます。

そして禮に始まり禮に終わるを体現します。

禮の状態とはレイ=ゼロ0の状態であり、それはまさに悟りの状態です。

悟りを目指すのではなく、ただ悟る。そしてその悟りをキープして、動いてもキープして、相手がいてもキープして、ものにも悟りを伝播させて影響させてより面白い世界を創造する。

武学の稽古システムは非常にシンプルです。

悟っても意味がない?

多くの人が悟りを目的地として設定して悟りを学んだり修行します。

それは遊園地を目指して、ずっと長い旅路に出て、なかなか到着しないまま遊園地への道のりを修行してるようなものです。

武学ではまずは人生の目的設定をします。

全てのものはその目的に向かって「使って」初めて意味を持ちます。

悟りも同じです。

悟ってもそれが活用されなければ世界に何も影響を与えません。

行動して実体化することでしか影響が及ぼさない世界で無目的に悟ることに意味はありません。

悟ってそれを世界をより面白くするために活用した時にものすごい意味を持つのかもしれません。