動きに囚われてその本質を見失うことがある。

例えば、ジャブ、ストレート、フックなどボクシングのパンチが良い例です。

名前がつくとさぞ複雑に見えてしまいがちですが、本質的に見れば全て腕の曲げ伸ばし。

その動きに多少の差はあれどそれは腕の曲げ伸ばしに過ぎません。

本質を捉える

上記のボクシングのパンチの事例が分かりやすいですが、世界にはこのように多くの言語で切り取られた概念が存在します。

そうするとどんどん本質が見えなくなっていきます。

武術の世界でも同様に様々な身体のコントロール技法があって、それらを言語で定義することで多くの技が存在するように見えます。

しかし、どの達人もやっていることは身体のエネルギーを使って相手に影響を与えていると言うこと。

もっと言えば武学でいう、ゼロ化の応用にすぎません。

つまりゼロ化が本質であり、それ以外はその派生に過ぎないと言うこと。

本質であるゼロ化の意味を深める

武学でゼロ化を体得するときに、ゼロ化に盲従してしまうパターンがあります。

ゼロに依存して、ゼロになれば全てができるのだと。

しかしそういった依存心がある以上、本当のゼロの体現は程遠いかもしれません。

ゼロの本質は全我です。

わたしが全てであり、全てがわたしである。

この感覚を体現することで目に見える世界全てがわたしなのだと、ハッキリと自覚することになれば、それはゼロ化を体得したと言えるのかもしれません。

そうすれば、世界は自在にコントロールできるようになるのかもしれません。