型に魂を宿すということはどういうことだろうか。
型を型としてその動きを真似ても本物にはならない。
そこに魂を宿す。エネルギーを注ぎ意図を持って取り組むことで本物になっていく。
何のために型をやるのか。
それがベースになってくる。
今回は型について深堀していきます。
型はあくまで型
型というのは、誰がやってもその通り同じ動きになるもの。
鉄を同じ形にするために掘られた鋳型。それがベースにありますので、まずは見よう見まねで、同じ動きができることが大前提となります。
しかし、その真似した動きでは自分の動きではありませんから、それをどんどん練り込んで自分のものにしていく必要があります。
しかし、多くの人はその練り込みの段階で挫折するか、単に同じことの繰り返しになり、魂が宿らずに終わっていくケースがほとんどです。
しかし、ごく一部の人は、型の練り込みから次の段階へと移行しやがて型に魂が宿り始めます。
型に魂が宿るとは
型に宿る魂というのは、その取り組む人の志をベースとした「意図」によって生まれてきます。
エネルギーが宿るという方が分かりやすいかもしれませんが、実際にその動きにエネルギーが宿り、「美しさ」が増してきます。
見ているだけで美しい、綺麗だという感覚になる動きで、ただの真似事とは別次元です。
型に魂が宿ると、それこそ「アート」になり、本物のマーシャルアーツとなります。
レノンリー老師の動きが美しいのはその動きに魂が宿っているからであり、ご本人の志や武術に注ぐ情熱や取り組む覚悟がエネルギーとして実体化しているに他なりません。
並々ならぬその覚悟の実体化こそ、型に宿った魂であり、取り組み方そのもの、人生そのものなのかもしれません。