「こうあるべきだ」

「これは間違ってる」

そういう思考によって自分の正しさや正義感を主張することで、日々争い合っている現代。

真の平和とはそういった概念がなくなり、全て正しいし、全て間違っているというところに立って成し遂げられるものかもしれません。

自分は正しいという幻想

多くの人は、無意識に自分は正しいと思い込んで生きています。

だから、自分と違う意見にぶつかると相手を批判的に、否定的に見てしまいがちです。

自分の意見と違う時に「それは違う」「こうあるべきだ」と思ったらそれは幻想です。

なぜなら、目の前にいる人の宇宙の中では、その意見こそが「それは違う」と見えているからです。

この現実を冷静に認識できた時に、他者の意見を批判したり否定することは、自分の意見を批判し、否定していることと同義であることに氣付くでしょう。

つまり、そういった思考はすべて幻想であると認識するのがもっとも合理的なのではないでしょうか。

見えない世界を自在にコントロールする

神や仏がいるなら、なぜこの世界に争いや貧困、病氣が蔓延しているのか。

それは、それらを「創造」した人がいるからです。

この世界には創造しかありません、だれかがつくったそれらの概念をより良いものに変えていくを創造力」が必要です。

目に見えない世界で創られた情報がこの物質世界に実体化してる以上、目に見えない世界を自在にコントロールできるスキルが必要です。

それを可能にするのが禮法です。

禮法というツールは目に見えない「靈」や「零」をコントロールすることができます。

禮法を正確に使いこなすことで、世界は少しずつより良く再創造されていきます。