武学とは?

前回の記事では孫子の兵法の誕生秘話をご説明しました。

武学とは?孫氏の兵法の誕生秘話(前編)

今回はその後編をお伝えします。

孫子の兵法が国家づくりの基礎になる

孫武が中国の戦乱を憂いて竹簡に書き残した孫子の兵法。

地面に埋められたその竹簡はやがて2、300年後に掘り起こされ発見されます。

そして色々な人に伝わっていきます。

孫臏(ソンピン)や曹操、そして諸葛孔明などです。

天下三分の計など「どうやった国を守ることができるか」という「どうやったら平和になるか」という孫武の教え。

それが国家づくりの基礎になっていくのです。

日本に伝わった孫子の兵法

やがて日本にも孫子の兵法が伝わってきます。

知られている限りでは武田信玄がその教えを紐解いたと言われています。

その証拠はあの有名な旗にあります。

武田信玄といえば「風林火山」というぐらい有名になったこの言葉。

これも実は武学書を手に入れてそこから転用したと言われています。

そして武田信玄は武学を身につけ徹底的に活用していきます。

ある時、徳川家康と合戦した時には徳川軍の方が人数が多かったのにもかかわらず、大勝します。

そしてその強さの秘密を探った徳川家康は、武学の存在を知り、武学書を手に入れることになります。

そして武学を元につくったのが「江戸」です。

武学が体現された都市「江戸」とは

今の日本の首都である東京。

そこにかつて存在した260年という期間に亘り戦争を一度も起こすことがなかった都市。それが江戸です。

当時、江戸には118万人という世界最高の人数が住んでいました。

その都市設計は完璧なものでした。

地域循環を基本として、地球を一切汚さない設計。

用水路の水が飲めたといいます。

この江戸のまちづくりは、人類史上、最もキレイで最も平和なものでした。

それをどうやったのか、それが武学です。

孫子の兵法13 用間編

徳川家康はどのようにして江戸という世界最長の「平和なまち」を築いたのか。

その答えば孫子の兵法13番目である用間編にあります。

用間とはスパイのことです。

この孫子の兵法の13番目には5つのスパイの使い方が細かく記されています。

スパイというのはつまり忍者のことです。

忍者といっても、一見すると町人だったり、職人だったり、商人だったり、普通の人が実は忍者という感じでした。

しかし、何かよからぬ動きがあった場合には全部報告をする仕組みになっていたので、事件を未然に防ぐことができていました。

物事が悪化する前に事前に対処できることもあり、治安警察はたったの30人。

このたった30人で118万人という人口の治安を守っていたということになります。

これがまさに武の力によるものです。

「武」とは

武学というのが我々の歴史に深く関わっていることがわかったと思いますが、それではその要である「武」とは一体どういう意味なのでしょうか。

武とは、「二」つの「戈」を「止」めるという字から成り立っています。

戈とは槍のことなので、2つの槍を止める。

つまり争わない戦わないという基礎原則になります。

だから戦った瞬間に「武ができてない」ということになるわけです。

よって武学とは「自分も負けない」「相手も負けさせない」という自他不敗の活学ということになります。

レノンリー老師が武学を伝えることになるきっかけ

武田信玄も、徳川家康も、ナポレオンも、孫正義も、ビルゲイツもみんな武学の兵術を活用してあのレベルになりました。

彼らはおそらく天才ですが、レノンリー老師は兵術書を読むだけではその体現が難しいと考えました。

そこで何をやったかというと、體(体)術から入ったのです。

體術だけは特殊な伝承形態になっていて、非言語伝承。しかも対人です。

ビデオでは分からない、非言語情報を師匠から弟子に直接身体を通して入れていく。

一子相伝。

そんな武学がなぜかレノンリー老師の元に伝わり、稽古する中で兄弟子より上手くなり、そこで師匠にエネルギーを入れられていたことに氣付く。

そのエネルギーとは「自然」

調和のエネルギーによって相手とのエネルギーバランスが崩れないので簡単にコントロールできる。

そして、體術をベースに兵術、醫術を紐解き、その調和の感覚を使って武学をマスターしていったということです。

そして、それを「禮法」というツールに昇華して多くの人にそのツールを提供しています。