禪の境地と言えば、「目指すもの」という認識があります。
ですが、武學體術では目指すモノではなく、スタート地点だと言います。
本日は「禪の境地」の認識についてパラダイムシフトする話と最後のそのYoutubee動画をシェアします。
禪の境地とは
武學體術ではリアルで禪の境地を使って何かをしようとしてる。
禪の境地に行こうとはしていない。
武學體術では禪法が多数あり、その禪法を使えば5分で辿り着ける。
その5分の道のりを目指しても仕方ない。
がんばらなくても「禪の状態」にはなるので、その「なった」のを使って何かをする。
それが武學の基本であり、特に酔八仙之術ではそれが基本中の基本であり、できたところからしか始まらない。
なので徹底的な稽古が必要である。
酔八仙と志体術の違い
志体術から武學の門を叩く人は、恐らく禪の境地とかゼロ化を目指してくると思う。
しかし、酔八仙は最低それができててから入ってきた欲しい。
なので天人統合禮法を講座として仕組み化して、最低限ゼロ化や禪の状態の体現が出来る人だけが入ってくる仕組みに変えた。
だから酔八仙メンバーでしっかりと稽古して、練り込んでいくことで、志体術から入ってくる人に見本を見せていく必要がある。
ゼロ化5分とかではなく、1秒でゼロ化。
「酔八仙」って言った瞬間にゼロ化できてる。それぐらい。
「禮にはじまり禮に終わる」でゼロ化が完了するぐらい。
それぐらいのスピード感でゼロ化し、禪の状態を体現できれば、より面白い世界が待っている。