ときとして、武学は宗教と間違えられることも少なくありません。
やっていることも禮法とかゼロ化とか坐禪とか宗教のように見えることがあるのでしょう。
では武学と宗教の大きな違いとは何なのでしょうか。詳しく見ていきましょう。
武学と宗教の大きな違いとは
いわゆる宗教というヒエラルキーにおいて、教祖は絶対的な存在です。
頂点であり、それ以上上がない。そんな存在です。
しかし、武学では師匠は超えていくものというのが師匠の教えです。
まさにここが大きな違いです。
つまり、誰かがつくった枠の中に入るか入らないか。入っていたとしても、自由に出入りできること。
さらに自らがその枠を創造することさえできる。それが武学です。
ですから、宗教とは似て非なるものなのです。
自らが教祖であり信者で在る
レノンリー老師は、さまざまな宗教を研究しています。そしてさまざまな究極の問題点も浮き彫りにしています。
それは、神を外に置くこと。
自らが神であり、自らが教祖であり、自らが信者で在る。
そんな状態が武学でまずたつべきスタートであると。
そうすることで、自らの世界を自由自在に創造することができます。
それこそが、武学での在り方となります。
武学は「わかる」「しる」ではなく「できる」ことをベースにするので、自分が神で在ることを知るのではなく「やる」ということです。