武学體術は日常にいかに活用するかという点を重要視しています。
知識を学んでも実際に使わなければ、その人の世界において何も変化をもたらさないからです。
ですから、活用に重きを置いていて、実際に使いながら学ぶことを活学と言っています。
使ってナンボの知識たち
勉強をしてると、勉強をすること自体が目的になることが往々としてあります。
我々、武学のコミュニティでもレノンリー老師の話が面白くて、ついつい知識を得ようとしてしまいます。
しかし、その知識を吸収する目的や、アウトプットする場所が決まってないのに知識を吸収しようとすると、その本質の1%も身につきません。
これが勉強すること自体が目的となる原因です。
何のために知識を得るのか、何のために勉強するのか。
それが明確になればちゃんと身につくし、もっと言えばちゃんとその知識を使うようになるでしょう。
ドロドロの泥の中で咲かせる蓮の花
先ほどもお伝えしたように、日常に使ってナンボの知識たち。
例えば悟りも同じです。
多くの人は悟ろうとして、山奥の寺などに行って瞑想したりします。
しかし、その悟りは何のためにやるのか。
本来は「うるさい上司」「粘着質なクレーマー」「うっとうしい小姑」などなどそういった日常で使ってナンボ。
そういった時に悟れるかどうかではないでしょうか?
釈迦も言ったように、泥の中で咲く蓮の葉に喩えられたその体現をまさに武学の稽古では実践していきます。
なぜならば悟ることがスタートだからです。
悟りはゴールではなく、さっさと悟ってその悟りを使って世界をより面白くしていこうという発想だからです。