学ぶことをやめたら、退化が始まる。
強い言い方をしたら、人生において後ろに進むということは、目的を放棄したことと同義であるのではないか。
学び続けること、それが最低限のマインドセットである。
先生になるな、学生であれ
レノンリー老師の師匠は、先生になるなと常に伝えてくれていたようです。
学校教育の現場に行くと一目瞭然です。
学ぶ側と教える側の構図、それは向き合ってエネルギーが衝突するような感じ。対立構造です。
しかし、武術の稽古ではみんな同じ方を向き、同じ方向性の未来を想像するための仲間、同志として、先輩と後輩の関係性で成り立っています。
先か後かだけの違いで、上下や優劣などありません。
そして、自分も教えるけど、教わったりするし、なんなら後輩から学ぶことも多い。そんなあり方こそ、成長の速度を最大化させるポイント。
学びをやめたら一瞬で老化が始まる。
受動的な生き方は世界を狭めていく
そもそも、学生とは生きることを学ぶと書くわけであり、生きていること自体が学びです。
自分の生命活動をよく観察してみると、ものすごい量の氣付きがあるでしょう。
なぜ人間の心臓は動き続けるのか?
なぜ人は呼吸を無意識でしているのか?
なぜ臓器は機能して、怪我をすれば自動的に治っていくのか?
なぜなんでしょうか?
誰がこんな身体を創ったんでしょうか?なんのために?
その本質的な生へ疑問が学びを深め、生きることの本質に近づいていきます。
生きることは学ぶことである。それが本質かもしれません。
常に学び続けること、それは常に自分の生きる目的を探求し、自分としてこの地球に生まれてきた意味を最大化するための活動なのかもしれません。