常に忘れたくないのが、原理原則。
日々生きていると、他人の抽象度の中に入り、そこからしかものが見えなくなったりします。
お金を稼ぐことを中心に考えてしまうあまり、基本的な循環の原理から逸脱してしまうことも多々あります。
この世界は循環の原理によって成り立つ
なぜ我々は死なずに生きているのか。
それは生命の原理原則の中にいるからであり、それは循環の原理でもあります。
我々の身体のおよそ70%は水でできていて、その水は地球の循環によって生み出された命の雫。
山に降った雨が川となり、海に注ぎ、蒸発して雲になり、また山に雨として降り注ぐ。
この循環こそが生命の基本原理。
そこに無理はなく、自然の出来事です。
これは疑いようのない摂理であり、真理です。
この循環の中に生きている以上、この循環の原理に逆らわずに生きるのが吉。
逆らうのは無理なことであり、たとえいっときそれで生きられてもいずれ地球や自然からNOが突きつけられます。
今人類はその瀬戸際に立っています。
元々の自然に戻ることの素晴らしさ
なぜ我々はちょっとした幸福感で満足できないのか。
もっともっと・・・と欲求が湧き出してくるのでしょうか?
それは生命の原理原則に立ってないから。循環の原理の外側に出てしまっているからです。
言うなれば、不自然なことなのです。
動物たちが、もっと食べたい、もっと欲しいと、必要以上の狩りをしたら、いずれエネルギーが枯渇することを何処かで知っているのです。
それは本能というよりも、もっと大きな自然の原理原則が支配していて、そこから逸脱しない限り、それが自然なことなのです。
だから、必要最低限で生きることが当たり前なのです。これは基本的な本能として「足るを知る」ことを理解しているのです。
人間はどうでしょうか?
欲求のままどんどん欲していき、不必要なものを集め、これはワタシのだと我欲を発揮します。狭い地球で分かち合わなければ、いずれ窮屈さが分離を生むのにそんなこともわからない。
今こそ自然に回帰するとき。
自然に戻り、足るを知る。本当の意味で「生きる」本質に辿り着かねば、人類は滅びるでしょう。