武術と武道や格闘技は全く違います。
どれぐらい違うかというと、180度違う。
サッカーと将棋ぐらい違う。
本当に違う、と力説するレノンリー老師。
その本意とは。
武術は全く違う
武道や格闘技には明確なルールや型が存在します。
例えば、柔道の試合だったら道着を着て、決められたスペースの中で、決められた時間に決められた種類の技をかけて勝敗を競います。
その「柔道」という系の中で、例えば竹刀を持って相手を攻撃することなどあり得ないことです。
そして、柔道には嘉納治五郎という創始者がいます。
その創始者の後に続く道を歩くことになるということです。
そう言った意味で武道に携わる人は、ルールを守りその範囲の中で行動するというある種の洗脳状態にあるということです。それ以外のことをやってはいけないという暗黙の了解があります。
ですが、武術は全てOKです。金的、目潰し、武器なんでもあり。ルールもありません。
相手がいつどこで、誰と何人で、どんな武器で襲ってくるかわからないのです。そんな前提があるので、全くもって違うということです。
誰一人洗脳しない
武術をちゃんと実践している人は、人を洗脳したり、洗脳されたりしなくなります。
常に、主体自律しているので、自分の人生を100%受け入れます。
言い換えれば、100%自らが創造している状態です。
だから宗教にはなり得ません。誰かを自分の下に置いて洗脳することなどあってはならないことです。
それは他者という神への冒涜であり、自らという神への冒涜となるからです。
信じるものは自分だけ、教祖も自分という状態。我神也。
そう言った、人々を洗脳から解放し主体自律で生きるあり方で世界をより良くしていくのが武術家だと言えるのではないでしょうか。