武学の稽古をしていると、よく初心者にある質問が「1人でできる稽古ないですか?」というもの。
1人でやりたい氣持ちはよくわかります。しかしその質問の裏に隠されている感情としては、他人と接するの面倒くさいなとか忙しいなとか割とネガティブな感情が多かったりします。
それは実は本質が理解できていないから起こってくる質問かもしれません。
1人でできる稽古はないと断言する理由
レノンリー老師は口を酸っぱくして「1人でできる稽古はありません」と言います。
もちろん、あるレベル以上になれば1人でできる稽古もあります。
しかし、それはあるレベルになって初めて機能する稽古であり、初心者にとって1人でできる稽古はないというのは、ある側面では事実です。
それは初心者はまず磨かねばいけない感性があるからです。
それは目の前の相手を通じて自分を観測するという「外観」の感覚です。
この感覚を養うまでは1人稽古するほど危険なことはありません。なぜなら、どんどん自分よがりの自分の正しさで「できてるつもり」なってズレてしまうからです。
一度ズレると元に戻すのは大変です。
最初から正しいやり方をマスターするためにも、外観という感覚が必須です。だから1人稽古はないですよ、と断言するのです。
人は人で磨かれる
初心者にありがちなのが、相手との稽古中に目を瞑ってしまうということ。
これは相手を無視して自分の世界に没入する行為です。瞑想など経験がある方は目を瞑りやすいのですが、目の前の現実に目を背けると、問題は大きくなるばかりです。
しかし目の前の相手を通じて自分を感じ、その自分を本当の自分であると認識する。
こうやって相手を通すことでしか認識できない本来の自分。
そう思うと、目の前で一緒に稽古してくれる人に感謝の氣持ちが湧いてきます。そうやって少しずつ魂が磨かれていく。
まさに人は人でしか磨かれないということ。身魂磨きとは目の前の相手と共に身体を使って魂を磨くこと。
そうやって少しずつ人格や人望を培い、人徳を積んで魂が磨かれていくのかもしれません。