悟りの境地に立つ。

これは一般的には「ゴール」のような印象があります。

現に悟りを目指して日々、瞑想をしている人もいるかもしれません。

しかし「ゴール」という認識だと逆にたどり着けないかもしれません。

武学體術では悟りは「スタート」という位置付けになっています。

悟ってから稽古がスタートする

武学體術では悟りは稽古の前提条件になってます。つまり、悟らないと稽古にならないのです。

そういう位置付けになることで、武学體術を真剣に取り組む人は誰でも悟れるようになるのです。

悟りがゴールではなく通過点になることで、その難易度が下がったと言えます。

特別な人だけが悟れるのではなく、全ての人に悟れる可能性があるということです。

そして、ちゃんと稽古すれば誰でも悟れます。

そういった稽古システムが「禮法」なのです。その禮法の究極が天人統合禮法なのです。

心意體術を統一すると悟りの状態になる

悟りとは「差とり」つまり差が取れている状態です。何の差かと言うと、心意體術の4つの差がない状態です。

心も意識も身体も術もどれか1つだけ過剰だったり過小でもダメ。全てが同じバランスで保てていることをサトリと言います。

そして、その究極がゼロです。

ゼロ、、つまりワンネス。

わたしが、全てであり、全てがわたしであるという状態。思考ではなく在り方です。

つまり

身体の状態もゼロになっていること。

どこかに緊張があるわけでもなく、かと言って脱力でもない中庸の状態。

そんなゼロポイントフィールドに立つと、全てと同化してムスビが起こります。