武術と格闘技の違い。

同じ土俵で争うことが前提のスポーツ、格闘技では勝敗がつけやすくなります。

しかし武術は勝敗を決めるどころか、自他不敗という「究極のドロー」の体現を目的としています。

つまり同じ土俵で比べることができないということです。

そんな話から武術における「可能性の探求」について深掘りしていきます。

武術における五大不確定性原理

恐らく、このブログでも何度も説明していくことになる、武術における五大不確定性原理とは。

それは、「5つのない」が前提になっているということです。

つまり、武術はこの前提を想定して稽古するということです。

1つ目、相手の能力が分からない。相手がボクシングの使い手か、柔道の世界チャンピオンか、剣道の10段か、はたまた殺し屋か、スナイパーか、相手の能力がわかりません。

2つ目、相手の人数が分からない。1人だと思ったら10人チームかもしれないし、100人、1万人、100万人かもしれない。相手の人数がわかりません。

3つ目、相手の武器が分からない。正々堂々と素手で・・・というのは何かの枠の中での話であって、武術にはそういった枠がありません。目的を達成するためなら手段も武器も選びません。

4つ目、場所が分からない。ボクシングなど格闘技は「リング」という場所が決まってますが、武術にはそういった場所の想定がありません。逆に言えば、どこでも開戦する可能性があるという前提で稽古します。

最後5つ目、時間が分からない。

3分12ラウンド・・・

そういった時間の決定事項がありません。

つまりいつ始まっていつ終わるか、どれぐらい続くかなど細かいことは決まっていない前提で稽古します。

その結果、ボロボロになったりしますが、案外多くの氣付きがあったりして、有意義な時間を過ごせます。

武術は可能性の探求

こういった五大不確定性原理を前提とすると、相手と争った瞬間に「死」を意味することが理解できます。

正常な思考能力があれば、この状況で「勝つ」ことは不可能であると理解できます。

つまりこの状態での最善策は、自分も負けないし相手も負けさせないということ。

そのことで、一番最適な解である自他不敗を体現できるのです。

そして、こういった「マイナス」が前提であるが故に、無限の可能性を感じられる要素が数々あります。

武術は可能性の探求の旅です。

自分にどのような可能性があるのか、整理してみると面白いかもしれません。