見えていることだけが、真実である。

一見すると「正しい」と思いがちですが、見えていないことにこそ本質が宿っていたりするのがこの世の不思議な部分ではないかと思います。

つまり、「見えていること」「見えていないこと」の統合によって初めて真実が浮かび上がるのがこの世界です。

宇宙の真理と言っても良いでしょう。

陰陽を統合し太極を体現する

自分の正しさ、とは陰陽における「陰」か「陽」に偏った意見であることがほとんどです。

正義を主張することで悪を生み出し、争いを起こす国々を見ていれば、その事実が明らかでしょう。

つまり、陰陽のどちらか極端に立つのではなく、それぞれの主張を尊重し、それらを統合してアウフヘーベンし、第三案を提案して体現することが武術の在り方ではないかと思います。

それは陰陽を統合し太極であり、ワンネスを体現する太極拳が分かりやすいかもしれません。

あくまで方法論の1つとして太極拳を例に挙げれば、その武術の本質が明確です。

「太極を体現する」

全ては1つであり、1つが全てである。

その意味を理解するのではなく、体現することができるかどうか。

それだけにエネルギーを集約させることの美しさを感じます。

武術の本質とは

武術と格闘技、武道は違います。

どれぐらい違うかというと180度違います。

全く違うということです。

武道は1人の創始者がいて、その「道」を後輩がたどり着いた、その道での表現を感じること。

格闘技は、あるルールにおいて強さを競う。その強さとはスピード、スタミナ、パワーの競争です。

それらと武術は全く似て非なるものです。

武術には五大不確定性原理があり、つまりはいつ誰に狙われるかわからない中で、自分のあり方を洗練させていくことを目的としています。

あり方を洗練させるとは、要するに相手にとって「敵ではなく」「仲間であり」「むしろその人そのものである」というような極限を体現することです。

それが武術の本質であり、その稽古の目的は魂の目的の体現であり、生まれてきた意味をその瞬間に体現することに他なりません。

その深淵さが武術の本質のほんの入り口であり、稽古すればするほどにその深さの淵に立ち、輝かしい絶望と真っ暗な感動を味わうことができるのです。