武術の基礎的な稽古法として站椿功という方法があります。
站椿功とは駅のようにどっしりと立ち、動かずにじっとしていながら功を練る稽古法として、武術をやっている人にとっては一般的な稽古法です。
しかし、ヘタをすると「長く立つこと」が「良いこと」だと誤解されかねないので、站椿功をする本当の意味を深堀していきます。
站椿功で長く立つことは必ずしも良いことだとは限らない
酔拳の元世界チャンピオンであるレノンリー老師は酔八仙之術という酔拳の講座の中で度々、ご自身の経験として站椿功を長い時間立ち続けてきた話をして下さいます。
それは毎日2〜3時間、期間にしておよそ3年間。
ずっと立ち続けてきたということ。
そして、師匠にも長く立つように言われてきたことを体験談として伝えてくれるのですが、実はレノンリー老師の氣付きとしてもただ長く立てば良いものでもないという氣付きがあったというのです。
それは站椿功で練りたい功の意味を理解していないと、逆に遠回りになる可能性があることを示唆しています。
站椿功で練りたいのは「中極」の状態であり、禮法によって培われたゼロエネルギーを站椿功(禪法)によってしっかりパッケージしてキープしたいということです。
この稽古の意図がなければ、ただ立つことが目的になってしまい、本質から大きくずれてしまうリスクを孕んでいるということです。
站椿功をやる本当の意味
本来は対人での稽古がメインとなる武術ですが、站椿功は一人稽古として一人でもできる稽古法なので手軽で人氣があります。
しかし、それゆえに長く立つことが目的化してしまいやすく、稽古の本来の目的が見失われがちです。
何度も言うように、站椿功の稽古の目的は中極の体現であり、その感覚のインストールです。
つまり、いつでも站椿功の状態を発動できるように感覚として身体に刻み込み、それをしっかりと体現し相手に作用させることができるようになることを目標とすべきなのです。
要するに、相手が自分に触れてきたら、相手と同化してムスビを起こし「あなたもわたしもわたしです」という状況を生み出すことができるかどうか。
相手が押してきた時に、相手の意のままに押されてしまっては、それは中極の体現とは程遠いものです。
相手がいてこそ、相手との相対関係の中に中極が体現できる状態をつくるのが站椿功の本当の意味なのです。