武学の稽古で多くのシチュエーションで起こる「掴まれる。」という現象。
そこには意識的な問題も多く絡んで面白い稽古ができます。
掴まれる…を回避する
対人稽古において目の前の相手から腕を掴まれるというワークをすることが結構多いです。
稽古の意図は色々とありますが、掴まれているという現象に変わりはありません。
そこで着目したいのが意識です。
掴んでいる側は相手を掴んでいるという意識です。
一方で掴まれている方は3パターンの意識が考えられます。
「掴まれている」「無意識」「掴ませている」
これはおそらく繊細に感じないと難しい意識の感覚です。
ただ多くの人が「掴まれている」という意識になりがちです。
そこで、武学では「掴ませている」という意識の稽古をします。
そうすることで意識の違いを体感します。
さて、もう1つの「無意識」とは何なんでしょう?
掴ませている感覚さえない無意識
例えば、赤ちゃん。
生まれたての赤ちゃんが腕を掴まれた時に「掴まれた」という意識は発生するでしょうか?
少なからず発生するかもしれませんが、大人の我々よりはそういった意識になりづらいような氣がしませんか?
おそらく、それが「囚われていない」無意識の状態なのではないかと思います。
腕を掴まれた、と過剰に意識するから、相手と対立する現象をより濃く創り出してしまいます。
そこに何の囚われもなければ相手との対立構造が生まれずに、相手と自分は一体としてそういった世界を創造するのかもしれません。