日本には神道という概念があります。

それは教えではなく、神道なので神になる道です。

神道とは一体・・・

他宗教のように偶像が存在しない神道

神道を宗教のように捉えている人が多いですが、実は神道は宗教ではありません。

宗教というのは宗となる教えであり、それは神様からの教えです。

そうなると、絶対的な存在である神からの教えが絶対的な指針になり、他宗教を否定しやすい構造になります。

つまり、排他的で、自分が正しく見得てしまうという危険性があります。

しかし、神道には崇拝対象となる偶像もなければ、教えもありません。

ただあるのは、全てのものに神が宿るという考え方だけ。

つまり、全て正しくて全て間違えているという概念なのです。

だから、自分だけが正しくて他が間違えているという考え方になりにくい構造になっています。

だからこそ、クリスマスでお祝いしてその1週間後に除夜の鐘ついて、翌日に初詣に行くなど、宗教など度外視して全てを調和する能力が日本人にはあるのです。

日本には自分が神だったということを思い出す仕組みがある

ただ、生きていると自分が神であったことを忘れてしまうことも多いもの。

そうなると、自分の人生が「自分で創っているのに」他人にコントロールされているような錯覚を持ってしまいがちです。

だからこそ、自分が創造主であることを思い出すための仕組みが日本にはたくさんあります。その代名詞が神社です。

神社には鏡が置いてあり、自分が神であったことを思い出す場所として存在しています。

今では、願い事を叶えてもらう場所のように誤解している人も多いですが、神社は自分が神であったことを思い出すための社です。

そして、それが日本に無数に存在していることを考えると、日本にはそういった精神性が育まれやすい構造があり、それを思い出すことができれば、一人ひとりの能力がより花開き、面白い世界が生まれそうな予感がありますね。

自分が神であることを思い出して、自分の人生はもちろん世界をより面白くしていく人が増えたら面白いですね!