カガミから「ガ」を取り除くとカミになる。
そんなメッセージが込められているから、神社にはカガミが置いてあるという話は有名です。
では「ガ」とは何なのか。
我欲を全て手放した世界
例えば神社に参拝に行って、あなたは何を祈りますか?
少なくとも自分中心の願望などをベースに祈りを起こすのではないでしょうか?
そこに微塵の我欲が混ざらない人は少ないのではないでしょうか?
言い換えれば、そこに我欲が少しでも混じる以上、我々はカミに戻りきれていないということに他なりません。
この宇宙はすべて調和する。
よって神はこの世界に分離を創造しない。そこに調和を創造するものであると仮定するなら、全てがわたしであり、わたしが全てあるわけです。
つまり、全世界のより良い未来を創造する以外の祈りは存在しないことになります。
無為自然
ただ在る。木々がそこに存在するように。
動物たちがそのままで野山を駆け回るように、我々も自然の一部であり自然で在るのです。
そこに思考による洗脳が入り込むことで我欲が生まれ、その我欲とのうちなる調和を体現できないとどんどん自分と周りの世界を分離して自らに物事を集めようとします。
しかし、自然は調和するもの。
必要なものはすでに存在しておらず、全て在るのです。
無為自然であれば、全ての問題が即解消されるということです。
問題などない、全て順調であり調和の取れた宇宙の体現を感じることになります。