世の中には言語を相手を打ち負かす道具として使う人が少なくありません。
言葉は道具です。より良い世界を創るために活用したいものです。
言葉で言い争うのではなく、言葉を未来創造に使いたいものです。
言語を争いの道具として使う
いわゆる宗教も言語を使った「神」の定義が元となり発足しています。
そして世の中にはさまざまな神の定義があり、それを元に争いが絶えません。
言語を争いの道具として使うことで、どんどん対立や分断が広がっているような氣がしてなりません。
そうではなく、言語はあくまでより良い未来創造のために使うツールとして再認識していきたいものです。
それ以外は非言語対人で、相手の中に自分の正しさを見出すような柔軟性を体現できたらもっと面白くなりそうです。
非言語対人で検証する
自分の正しさを主張する人がいます。
しかしそれが対立と分断を招いていることに氣付いていません。
自分の正しさは相手の中にもたらされて初めて成立します。
それ以外はただの主張に過ぎず、相手からとったら「間違えている」ことに他なりません。
そういった柔軟性を体現するには、非言語対人で相手の中にその正しさを見出す在り方を身につけるしかありません。
武学はまさにその稽古なのです。