太極拳をやっている時を思い出すと、太極=ワンネスのエネルギーを体現することを主眼に稽古しています。
つまり全身の分離感のなさ、全身をワンユニットとして動けているのかにフォーカスがいきます。
そう、分離すること陰陽が生まれることが「悪」であるような感覚に近づいていきます。
しかし、あえて陰陽を創り出せるということは、それは太極であるという在り方が体現できているということである、という発想があると面白いです。
身体で宇宙を体現するのが武術
そもそも、武術の最高峰である酔八仙之術で学ぶのは、「武術は身体で宇宙を体現するものである」ということです。
宇宙を体現するとは、その身体を使って太極であり、陰陽であり、四象であり、八卦である・・・という状態を体現するということ。
つまり、身体で太極や陰陽を体現できることが武術ができるということになります。
これを知識ではなくて、「やる」というのが武術。
つまり、身体の中に陰陽をつくり出すというのは武術ではもはや当たり前のことです。
身体の中に陰陽をつくり出しコントロールする
武術の稽古は必ず対人で行います。
目の前にいる相手との相対関係において、その世界に生じるエネルギーをコントロールしていくので、1人で瞑想などしている時に起こりやすい、「できているつもりになる」可能性がゼロになります。
目の前で現象として体現できていれば「できている」し、現象化してなければ「できてない」ということで、非常にシンプルです。
そして、身体の中に陰陽をつくり出すということも、相手を通して現象化できるかどうかです。
自分の身体で生み出した陰陽エネルギーを相手を通してコントロールすること。
これは稽古で実際にやってみるしか、感覚を掴むのは難しいでしょう。