わたしが小学校の頃、学校の授業に道徳の授業がありました。
しかし、道徳の本があって、その授業ごとにテーマをもとに授業はするものの、テストはありませんし、他の科目と比較して重要度が低く感じられた記憶があります。
恐らく、多くの子供たちにとって道徳というのは学校の授業において重要度が低く感じられていたのではないかと思います。
そして、それは学校の先生にとっても同じだったかもしれません。
この記事では学校の先生でも知らない「道徳」の本質についてみていきましょう。
学校の先生も知らない道徳とは
道徳とは、老子の書物からきています。
道経と徳経からなる道徳経という書物が由来です。
そもそもこの由来すら知らない人がほとんどではないでしょうか。学校の先生でも知らない人が多いのではないでしょうか?
そう言った書物に書かれている情報から、道徳を紐解くと、それはまさに宇宙の始まりと終わりの話に他ならないことに氣付くでしょう。
道とは、徳とは
道とは「TAO」と呼ばれ、日本では武道や茶道などが有名です。
創始者がいてその方の開拓した痕跡を道と呼ぶような流れがあります。
では実際に、道とはどういった定義なのでしょうか。
実は道とは、スタートとゴールのことで、それは宇宙の始まりと終わりを意味しています。それは過去から未来のことを含みます。
つまり、「全情報」を道と定義できるでしょう。
そして、徳についてですが、こちらは始まりと終わりの間の道中、すなわちプロセスのことを意味します。
つまり、始まりと終わり、そして道中、その旅路を道徳と呼ぶということで、それは「在り方」であり生き様だと言えるでしょう。
一般的な道徳のイメージである「良い人になりましょう」という抽象的な話ではなく、「どこに向かって進み」「どう生きるのか」という生き様や在り方の問題で、その人の志に関する重要な要素であることが分かるのではないでしょうか。
道徳という言葉の認識が、より深まったら幸いです。