日本古来から、神道という宗教が浸透してきています。

宗教というと、アレルギー反応を起こす人がいますが、宗となる教えなので本来は素晴らしいものなはずです。

さて、そんな神道ですが、本当の神道の在り方はかなり深いです。

正しさなんかない

神道というと、八百万の神々という考え方。

全てのものが神であり、もちろん私たちも神であるという考え方。

つまり、みんな並列であり同等に神である以上、全てが正しくて、全てが間違えているという考え方がベースになってくると。

だから、本当の神道では参拝方法など決まっておらず、全てその人の在り方が全てであり、正しさとなるということ。

100人いたら100通りの正しさが生まれるということです。

しかし、現代では「正しさ」という正解があるように見せられていて、そこから外れると「間違えている」というように見える世界が広がっています。

正しさを手放した時に宇宙の叡智に手が届く

人は自らが創った呪縛の中を生きています。

例えば、人生とはこうあるべきだ、成功することが目指すところである、などのように人から与えられた「正解」を信仰するように崇め奉る傾向があります。

しかし、何度も言うようにそれは正しさの一例であってそれが全てではありません。

良い企業に就職してお給料をたくさんもらって生きる。

それは正しさの一つかもしれません。

大学の時にみんながエントリーシートを書いている時に、吐き氣がしてそういった人と同じことはしないと誓って生きてきた自分にとっては、そう言った世界は間違って見えるわけです。

逆に言えばそちら側からは自分が間違ってるように見えるわけです。

しかし、そういった全てを持ってこの宇宙は調和してるわけで、全てが正しく、全てが間違えているというのが本質でしょう。

そういった正しさから解放されると、自らの生きたいように生きると言う、シンプルな生き方にたどり着きます。