ドラゴンボールにて。
フリーザの第三変身、つまり最終形態を前に心が折れたベジータ。
ドラゴンボール好きなら衝撃を受けた1場面ではないでしょうか。
相手の圧倒的なパワー。そこと比較して折れてしまった心。
心が折れるというのはどういうことなのか。
心が折れる瞬間
なぜ冒頭のようにベジータの心は折れてしまったのか。
それは「誰かより強くなる」ということに心血を注いでいたから。
その基準によると、超えられない圧倒的な力量の差が、ベジータの心を折るのに十分だったということです。
武術でいう、胆力がそこに必要だったのかもしれません。
しかし、ベジータはその後、自分への怒りでスーパーサイヤ人となり、常軌を逸する練習量をこなし、ものすごい力を身につけていきます。
ベジータなりの生き様がそこに見て取れて、自分は大好きです。
しかし、今回は「折れない心」がテーマなのでもう少し深堀していきたいと思います。
折れない心の持ち主、煉獄さん
折れない心と言えば、映画鬼滅の刃で一躍400億の男となった煉獄杏寿郎ではないでしょうか。
煉獄さんは、上弦の鬼である猗窩座との戦いで、みぞおちに手が貫通してもなお、その志を全うすべく力を振り絞りました。
それは、自分以外の人のためという志の力と、そのために全力を出し切るというマインドセット。
そして相手によって揺るがない胆力を身につけていたということが感じ取れました。
そう、この胆力こそ、武術の稽古で真っ先に培うべき、基礎中の基礎です。
相手のどんなエネルギーによっても揺るがない心。
それを下支えするのが、胆力であり、それは対人稽古とその量(功夫)によってもたらされる武術家の最低限のマインドセットです。
心理面からではなく、物理的な痛みを伴う稽古で培っていく、ダイレクトでリアルな稽古。
その結果、折れない心が確実にもたらされます。