武学の稽古をしていると、仲間が固定化されて同じ稽古仲間だから上手くいく、みたいな感じになりやすかったりします。
これはほかの武道や格闘技の稽古でも同じで、氣の知れた仲間だからこそ発生するエネルギーがあり、その中でのエネルギーコントロールは予定調和のような暗黙の了解の中で行われがちです。
しかし、酔八仙之術のエネルギーコントロールはそんな予定調和がない、極めて屈強な意志と実力を持った人にでも正確にゼロを体現することを目指します。
どんな相手にもゼロを通す
相手が自分より弱いからエネルギーが通る。自分より強かったら無理。
それでは全然日常で使えません。
なので、どんな相手にもゼロエネルギーを通していけるように稽古するのですが、最初はなかなか難しかったりします。
特に、自分は背が低く、相手が背が高いとそれだけで意識が虚になりやすく、相手にゼロが伝わりづらくなってしまいます。
しかし、酔八仙ではどんな相手にもゼロを通すことが基本中の基本です。
なので、相手がエネルギーをブロックしてきてもその中から繊細さを体現して、相手にゼロを通していくという稽古をします。
「エネルギーを通してやろう」という思考やエゴが働くと絶対にうまくいきませんので、そういった思考をゼロ化してクリーンにすることで、新しい創造が起こります。
相手と共に創り上げる世界
例えば、道場破りなどがきた時に、相手と自分が敵対していて、分離しているものだと捉えてしまうと、途端に争いが起こりやすくなります。
つまりゼロから乱れることで、ゼロエネルギーが相手に入ることがなくなります。
そうではなく、常にゼロを体現し、自分に対して攻撃的な人でさえも包み込み、調和を体現する。
そんな穏やかさやたおやかさを体現していきます。
そして、相手を無視せずに相手と共に第三案を創り上げ、その案をもって相手に「こんなプランはどうですか?」と提案していくことで、相手と共に調和されたエネルギーを体現していくことができるようになります。
それがゼロの本質であり、すべてはわたしであったことを思い出していくプロセスなのかもしれません。