謙虚に生きましょう。
そう言われても、なんだかしっくりこなかった10代の頃。
でも、今ならそれが「そうだよなぁ」と体感できます。
それは武術の五大不確定性原理がベースにあるからです。
相手の正しさを察知すること
武術では、五大不確定性原理という前提の元で稽古します。
そうすると、いつ誰に、襲われるか分からないので、横柄な態度で歩けないし、必然的に相手より弱く、謙虚にいきなければならなくなります。人より横柄だとしてたまたま接した人間がやばい人だったら、その瞬間に「死」を意味するからです。
そんな前提で生きていれば必然的に謙虚に生きるのが当たり前になる。
そうすると、いかに相手を知るか、相手が求めていること、相手の正しさを理解することを最優先に考えるようになります。
考えるというよりも、感じること。
そして、その中に自分の正しさを織り交ぜで、自他不敗の第三案を再提案することになります。
それが武の活学です。
正義が悪を生む
自分の正しさを主張したくなることはよくあります。
一般的に見て、「どう見てもAの方が正しい」という事例において感情的なもつれから「いやBの方が正しい」と主張してくる人は一定数います。
その時に、「いや絶対にAの方が正しい」と正義を主張するとどうなるでしょうか?
いよいよ「Bの方が正しい」と主張している人は後に引けなくなり、より一層「Bの方が正しいに決まってる」と主張してくるかもしれません。
この時、正義を主張することが悪を生み出すという現象の、まさにそれが実体化しているのです。
戦争も、全く同様のシステムによって起こります。
この場合、正義を主張すること自体が「悪」であることを理解し、体現すれば、世の中から戦争や争いは無くなるかもしれません。
今まさにこの文章も「正義」を主張しているので、一旦筆を置き、禮法をして禊着ます。
そう言った世界があってもいいし、なくてもいい。
非常にニュートラルな世界を観られるように稽古します。