格闘技では決められたルールの中で、状況を固定して稽古をします。

だからこそ、パンチやキックを洗練させ、卓越された技術の世界へと繋がっていきます。

一方で武術は逆です。ルールがない世界の稽古です。だから全てを想定した稽古になるため、全てのシチュエーションでの稽古を想定しなければなりません。

全てを想定する

決められたルールの中での行動はある意味で楽です。ルールに従えば良いので、ある意味で思考を使わなくても良いからです。

武術は全てを想定しなければなりません。

ここで思考が稼働し始めます。全てを想定する…とは、なかなか難しい。

考えれば考えるほど「部分」になってしまいます。

だから、一周回ってあえて考えない。感じることが大切になります。

そして自身の在り方。

護身術のように悪者がいるという前提での稽古などしません。悪者は自らの正義感が創り出す魔物。

だからこそ自らをゼロに戻し、自らの内側から悪者を消し去ります。

そうすることで全ての想定の下準備が完了します。

あとはあらゆる稽古を通してその本質を体得していきます。

ゼロという本質を体得する

全てを想定した稽古では、かならず人は死ぬという最悪の結論しか出てきません。

この闇を感じることが一番大切です。

だからこそ、少しでも生き延びるために、光を見つけていくためにすることがわかってきます。

それがゼロ化です。

自然と調和するゼロの在り方が体現できると、目の前の世界が変わっていきます。

目の前の現象に意味付けすることなく、ただゼロである。

そのあり方が問われていきます。

ゼロであれば少し生き延びる確率は高くなります、さらにゼロ化が深まればさらに生き延びる確率は高くなっていきます。

それこそが武術の稽古です。