神に支配されるこの世界。

しかし、実は神とは言葉だった。

聖書にもあるとおり、言葉が神であり、「わたし」以外の神を崇めてはいけない。

わたしとは自分自身・・・

つまり自分が神であるということ。

神に支配されてはいけない

いわゆる、神様。

外側にいるように感じてるものは全て自分の内側に置くこと。

これが神の正しい扱い方です。

神を外に置くと、途端にその神に自分の世界をコントロールされることとなり、自分で自分の世界の操縦が効かなくなります。

ですので、まずは神をうちに置くことを習慣化することです。

そして自分が神である認識を強く持ち、目の前に起こるすべてのことを主体的な意識で捉えていく。

何か嫌なことを言われても「言わせている」

何か辛いことがあっても「あえてそれを体験している」

痛みを感じること、例えば殴られたとしても「殴らせている」

このように捉えることが第一です。

神の使い方

神を使う。

そんなこと言ったら

ものすごくタブーな感覚になりませんか?

しかし、冷静に考えた時に、それは普通のことなのです。

この世界は陰陽。

表があれば裏がある。見えるものがあれば見えないものもある。

目に見えてる自分がいるなら、目に見えない自分もいる。

どちらも自分。

その目に見えない自分が、見えてる自分を動かす、使う。

すなわち、自分という神を自分で使うこと。

そうやって世界をより面白くしていく。それが神の使い方。

そして、すべての神々も自分の内側に宿し、世界をより面白くするために使う。

これが正しい「神の使い方」だと言えます。