天皇とは三大神勅の体現が仕事です。
その天皇の仕事をサポートするのが侍従の役割であり、侍殿防護の神勅の体現なのです。
今回は天皇と侍従の役割と、歴史に刻まれた蛤御門(はまぐりごもん)の変について詳しくみていきましょう。
天皇と侍従の役割
天皇(スメラミコト)の役割は、世界をより良くするための情報を天から下すための祭祀であり、祈りです。
その仕事をする傍らにいるのが侍従であり、侍従以外の人間はそこにいられません。
それぐらい厳重な場であり、荘厳な場なのです。
その場において、侍従の役割がまさに侍殿防護の神勅の体現であり、祭祀をする天皇をお守りすることなのです。
あまり知られていませんが、日本には侍従庁がありちゃんとした役職として存在しているので、明確な役割として存在していることは疑いようのない部分です。
見えないエネルギーとつながり、全人類の平和を祈って情報を降ろし実体化させる。天皇のお役目と侍従のお役目があって、世界はまだ、平和に保たれているのかもしれません。
禁門の変(蛤御門の変)と侍
蛤御門の変という歴史的な事件をご存知でしょうか。
この事件と侍が密接に関係しているのだとか。
禁門の変
蛤 (はまぐり) 御門の変ともいう。幕末,長州藩兵と幕府との京都御所付近における戦闘。文久2 (1862) 年以来,攘夷主義を掲げて朝廷に支配的影響力を有した長州藩は,文久三年八月十八日の政変で,薩摩藩兵に京都を追われて失脚した。その後長州藩が再起を期している矢先,池田屋事件で多数の攘夷派志士が新撰組のため殺害,逮捕された。これに憤激した長州藩では,真木和泉らの急進論が支配的となり,京都守護職の追放を掲げて藩兵が決起し,元治1 (64) 年7月 18日夜,御所を目指して突入した。特に蛤御門口の戦闘は激しく,長州勢は最初は優位に立ったが,薩摩藩兵の来襲により敗退し,これによって長州勢は全面的に撤退した。この戦闘で,多数の長州藩攘夷派志士が戦死した。
この事件では、どこからともなく騒動鎮圧のための人が現れて、騒動が鎮圧されたと言います。
その人たちが侍であり、さぶらう人、まさにどこにいるのか分からないのが侍であり、守り人なのです。
そう言った侍たちに守られて日本という国が今も存在しているのかもしれませんね。