神殿とは・・・

多くの宗教では礼拝堂として大きな建物が築かれ、そこに信者が通うのが一般的ではないでしょうか。

神殿として古くから地球に存在したものも、神と民が分離しコントロールされるために使われてきたのではないか。

そんな風に感じるのです。

なぜなら神殿は身体の内部につくるものだからです。

身体に神殿を築く

神殿とはまさに神を祀るための場所。

そんな神殿が身体の内部にあれば・・・

その瞬間に自分が神であることを認識せざるを得ません。

そして神が内側に宿れば、世界の全てをコントロールできることに氣付きます。

それは他人を動かすという発想ではなく、自分が変容することで世界が変わる感覚に近いかもしれません。

そしてその変容とは意識の変容のことであり、見方が変われば世界は変わるというのが真実であり、この仮想現実のような世界において、そこに臨場感が加われば実感を伴った現実として認識されるのです。

つまり、自分が神であることを実感できれば、即創造主としての創造性を発揮できます。

武学体術ではその実感を対人稽古を通じて身体のインストールしていきます。

カバラの秘術

カバラの生命の樹。いわゆるセフィロトの樹も、外側で理解するよりも内側で理解する方がより確実です。

学問として学と頭で理解しがちです。

武学体術では頭での理解は無意味に近く、身体で理解し使えることに価値を見出しますから、身体で体現できる必要があります。

つまりセフィロトの樹を身体の内側に構築するわけです。

と、なれば、セフィロトの樹とチャクラも自ずとリンクしてくるはずですし、より活用価値のあるものとして体得することができます。

学ぶのは、世界をより面白くするためであり、活用できなければ意味がありません。

そのようにレノンリー老師はわたしたちに語りかけます。