宗教には必ず礼拝堂があります。
そこで神を崇めるような行為を行います。
レノンリー老師はこの礼拝に「何かある」と感じその研究を始めます。
そして礼拝の本質的な意味に辿り着きました。
なぜ世界中の宗教で礼拝が行われるのか
世界中の宗教で礼拝が行われる理由。
それはある意味で洗脳のために使われている可能性が高いのではないかと思います。
それは礼拝のやり方にあります。
頚椎が曲がり、胸椎も曲がり…
骨格が崩れた状態だと周りのエネルギーが入りやすくなります。つまり洗脳も起こりやすくなるということです。
しかし本質的な理由としては、大いなるものへの畏怖という感じがあるのかもしれません。
おそらく礼拝の起源を辿れば、目に見えないものへの畏敬の念から礼拝が始まったのではないかと思います。
つまり、天地宇宙大自然への畏敬の念を体現する行為が礼拝なのではないかと。
世界中の礼拝に本質的なエッセンスを注ぎ込む
最初にもお伝えした通り、世界中の礼拝には重要な七要のエッセンスが抜けていて、洗脳にかかりやすい状態になっています。
それをいわば悪用する形で今の宗教が出来上がっているという点は否めません。
要するに神に依存させることでエネルギーコントロールしやすくするこの仕組みをより良く変えていくために主体自律の基礎である七要のエッセンスを取り込むことで、礼拝に魂が宿ります。
そうすると、天地宇宙と一体となる真の礼拝か体現できるようになり、究極のゼロを体現できるようになるのかもしれません。