自己探求。
いわゆる自分探し。
自分は一体何者なのか分からなくなり、探し求める感覚はよくわかります。
なぜなら数年前に自分も同じことをしていたからです。
自分探しの旅路の果てに
わたしはいったい何者なのか。
そんな自分を探す旅路は、側から見ると楽しそうに見えるかもしれません。
しかし、当事者からすると楽しいどころか、どんどんと泥沼にハマっていくような感じで複雑な感情です。
そもそも、自分の外側に自分を見出すという行為に無理があるわけで、自分にまつわる全ては自分の内側に存在するからです。
それなのに、外側に何かのヒントがあるかもしれないと探し回るのは本当に時間の無駄だし、なんならどんどん自分がわからなくなる泥沼にハマります。
相手を通じて自分をしる
自分という存在は、存在しない。
そもそも、絶対的な自分など存在せず、相対的な自分しかいない。
武学を始めてそれを知ってから相当生きやすくなったのを覚えています。
言い換えれば、目の前の人によってさまざまな自分と出会うことになる。
これこそが一期一会の本質。
自分という人間は、目の前の人の数だけ存在する。
好きな人と一緒にいる時の自分と、嫌な人と一緒にいる時の自分は、言ってしまえば違う自分だと言えます。
要は、相手を通じてしか、本当の自分を観ることはできないということ。
だからこそ、相手に敬意を払い、注意深く相手を観察することで、本当の自分に出逢えるのかもしれません。