自分は何になりたいのか?

ふと、なんとなく自分の向かうべき方向性について考えてしまうこと、ありませんか?

人間は皆、なんとなく自分の方向性を感じていて、でもそこに氣付きづらいので氣付数に死んでいく人もいるんだと思います。

でもその本質的な疑問に向き合い、それを感じ明確にできたらどれだけ生きやすいでしょうか?

身体の内側から湧き上がる熱い想い

自分は何になりたいのか?

それは職業など学んだものではなくて、本当の意味で内側から湧き上がる想いです。

全世界から争いが消えて、みんなが幸せに生きられたらなぁ・・・

自分はをんなことを考えると、グワーーーっと熱いものが込み上げてきます。それは知識や概念ではなく、熱い想い・エネルギーとして感じるのでより本質的で、リアルな質感をもって感じることができます。

恐らく、全ての人がそうやって何かしら熱いものを胸に隠しもちながら生きてるんだと思います。ただ、ほとんどの場合氣付蹴ずに、その想いが溢れて来ないで死んでしまう人が多いのが実情。

お金のために生きるために生まれて来たのか?

恐らくそうではないはずです。自分が熱く生きれないのは、自分の内側の熱いものに出会えていないからであって、逆にその熱いものに出逢えたなら、その情熱を継続させながらその方向性を感じて歩む方向を調整することで、より純粋に生きられることができるんじゃないかと思います。

魂の目的を感じる

全ての人には魂があって、その魂はうっすらと方向性を宿しています。

その方向性を感じ、その方向に向かってまっすぐ歩ける人はほんの一握りだと思います。

割合で言ったら10000人に1人とか、そういったレベルではないかと思います。

逆に、残りの9999人は、ひたすら誰かが創った世界を生きることになります。その中で自分の身体や魂の声を聞くことを思い出せるかどうかが勝負です。

自分は、就職活動をするときに大きな違和感を感じ、歩く方向が180度変わりました。身体が教えてくれたのです「そっちじゃない」と。

そして、自分の生きやすい方向、魂の目的を探求して今に至るわけですが、大きな分岐点は「感じる」ことから始まりました。

違和感は重要な指標です。

しかし感性が閉じるとその感覚すら感じられなくなります。そうなるともはや魂の目的を感じることは不可能です。誰かが作った枠の中で一生を過ごすことになります。

そうではなく、枠の外に出て自分が自分の魂の目的を体現するための世界を自分でつくること。それだけが唯一の正解なのかもしれません。