知識に価値はない。

なぜなら、わたしたちは全てを知っているから。

なので「知る」ではなく「やる」そして「できる」ようになることを重要視するのが武学体術です。

ミソギやサトリも、知るのではなくやる。

そうすると自然と腕ひしぎ十字固めがきまるという、お話。(どんなはなしやねん。。)

ミソギやサトリを「やる」とは?

レノンリー 老師は常々、悟りを知るのではなく、やるんだということを言っていて、行動して実体化することが重要であることを教えてくれます。

それはミソギも同じであり、身体をゼロに戻すことを本などで読んでて知ってても、それをやらなければ意味がないし、できなければ意味がないと言います。

武術家として行動して実体化することに拘っているのだと思います。

それは、武術には「今」という概念しかなく、明日という概念がないからです。

つまり「今」やらなければ意味がないし、「今」」できなければ意味がないと言うことです。

なので「やる」ことに拘っているのだと思います。

そして、できなければ稽古する。

そういう稽古形態が武学体術のベースにあります。

ミソギができてサトリの状態にあると…

自身のミソギが完了すると、相手とムスビの状態になります。

要するに、相手との「差」が「取れた」状態、「サトリ」の状態になっています。

この状態がキープできていると(マツリの状態)、相手が意のままにコントロールできるようになります。

つまり、意識が乗り(イノリ)、相手に思うような技がかかる、ミノリの状態が実体化すると言う流れです。

ミソギをやること、それが全てのスタートであり、ミソギができると、次々に面白い技がかかるようになります。

しかし、そこに少しでも思考が介入すると、途端にミソギが崩れて相手との分離感を生きることになるので、いかにミソギの状態をキープして思考を介入させないかがポイントになります。